帯広合唱連盟の歴史

創   立  1960年(昭和35年)

 

初代役員   理事長  田代 廣和

       副理事長 大森  清

            高橋 亮仁

       事務局長 三浦 輝雄

       会  計 松田 文夫 

 

歴代理事長  田代 廣和(昭和35年~昭和49年)

       高橋 亮仁(昭和50年~平成11年)

       加藤 靜一(平成12年~平成23年)

       沖田 道子(平成24年~令和元年)

       江本 欣秀(令和2年~)

 

    

◇田代の指導で根付いた合唱◇

 

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帯広市民文化ホールのこけら落とし公演を帯広交響楽団とともに行う帯広合唱連盟

◆合唱連盟設立の田代
 戦後の混乱から立ち直り、文化活動を盛り上げようという気風に満ちていた一九六〇年、十勝の九団体が加盟して帯広合唱連盟が設立された。「当時、活動発表の場といえば古い十勝会館だけ。創設した故田代廣和氏の苦労は大きかった」。元理事長の高橋亮仁は当時を思い描く。
 初代理事長の田代は二七年、帯広生まれ。盛岡工専(現岩手大学)時代に東京芸大の沢崎定之教授に師事。帰郷後、庁立帯広高等女学校(現帯広三条高)で教べんを執り、五〇年に同校に合唱部が誕生する。田代はこの後同校を退職し、帯広市の社会教育主事として文化活動に大きく貢献していく。
 五一年春、田代は公民館活動の一環として公務員やOL、銀行員などの独身者を集めた「帯広市民合唱団」を誕生させた。団員は四十人。創設時からの団員味呑栄は「同じ個所を二度間違おうものなら、楽譜をたたき床を踏み鳴らして怒鳴る。一度来ただけで次から練習に来ない人が何人もいた」と、田代の指導の厳しさを思い出す。
 同団はその後、発展的に帯広混声合唱団を生み出すが、団員の減少と高齢化から七四年で帯広市民合唱団としての幕を下ろす。しかし、当時の団員たちは今も管内のさまざまな合唱団で活躍し、その灯をともし続けている。
 帯広合唱連盟発足後、田代は理事長として精力的に活動する。六一年、映画館を借り切って第一回帯広市民合唱祭を開催。「食料の買い出しが大変だといっている時代に、十勝・帯広に新しい息吹をもたらした」と、元副理事長の岩井照清は話す。

 

◆全国に第九ブーム  

 第一回の合唱祭で参加者の心に残ったのが帯広畜産大学合唱団だった。岩井はそのときの様子を「学生たちは泥のついた長靴によごれた制服を着てステージに立った。ダミ声を張り上げてロシアの歌を歌う様は極めて痛快。合唱のうまさではなく、歌うことを純粋に楽しんでいた時代」と懐かしむ。  六三年には合唱の底辺を広げようと、清水町のせせらぎ合唱団に加盟を呼び掛ける。せせらぎは五九年に発足。八〇年には町民を巻き込み、二百五人でベートーベンの「第九」を大合唱、聴衆を感動の渦に巻き込み、全国に“第九ブーム”を巻き起こした。団長の高橋は「札幌交響楽団と参加者が一体となった素晴らしい演奏だった。出演者も観客も感動に涙を流し、放映されたテレビの前でも多くの聴衆が涙したと聞いた」と振り返る。

 

◆民間の活動も盛ん

 一方で民間の合唱団の活動も盛んになる。NHK帯広放送局を母体とするOG合唱団が解散し、一部女性メンバーが六四年に「クールビヨン」を結成。七〇年にはお母さんコーラスの「ハローコーラス」が誕生、その後も芽室町の「やまなみ合唱団」や帯広高校合唱部のOBでつくる「ヴォワ・デ・フルール」などが相次いで誕生し、合唱祭やコンクールで活躍する。中でも帯広三条高校の活躍は華々しく、全国大会でも輝かしい成績を収めている。  九七年十一月。市民オペラ「カルメン」の公演が帯広市民文化ホールで行われた。四百人を超える出演者、スタッフの大半は地元在住者。帯広合唱連盟の関係者も多数を占め、指揮を執ったのは田代の二男詞生だった。 (文中敬称略) (十勝20世紀取材班=岡村忍)(00.9.19)

 

 

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 1975年、ブルガリアで公演するアドニス。

 ソフィアのホールは満席だった

◆アドニス合唱団発足

 一方で青少年の合唱も隆盛を迎える。六一年、小学校教員の岩井照清や田代、竹中らが中心に立ち上げたのが、後に「アドニス少年少女合唱団」と名前を変える「帯広少年少女合唱隊」。  アドニスはラテン語で福寿草(フクジュソウ)。「北国に歌の花を咲かせよう」という意味を込め、学校から離れても活動できる合唱団としてスタートした。小学校から高校生までの四十人の子供たちが所属していた。

 結成六年後の六七年。初来日したブルガリア・ソフィア少年少女合唱団とジョイントコンサートを行う。これを機にブルガリアでの海外初演奏が決定。メンバーは六十人。当時、百人、二百人と来る希望者をオーディションで落としていた時代だった。

 その後、チェコ、ルーマニア、スイスなど外国合唱団との共演に加え、自らもカナダに出向き、スワードやカルガリーなどでコンサートを開いた。指導者の岩井は「海外遠征は子供たちを大きく成長させ、日本の良さを見直すきっかけになった」という。

 今年で発足四十年。団員数も最盛期に比べると減少したが、その活動は今も着実に受け継がれている。

 少年少女のころからレベルの高い音楽を教え続けた十勝の指導者たち。竹中は「子供たちが活躍する姿を見るのが何よりうれしい」と目を細める。

 

(文中敬称略) (十勝20世紀取材班=岡村忍)(00.9.21)